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器に沢山盛られたハム

相模原市の歴史

相模原市の歴史について

3.5万年前くらいに、相模原市あたりに人々が住み始めたと言われてます。
実は相模川、堺川、鳩川沿いに、旧石器時代に人々が使用したとわれる土器等が、関東ローム層といわれる赤土の層から、発見されているのです。
平成9年には田名向原遺跡で約2万年前の旧石器時代の住居状遺構が発見され、国史跡になってています。
また、縄文時代の遺跡は中期のものが多く、弥生時代の遺跡は発見されていません。

当麻の谷原に10数基の古墳群(円墳)が築かれたのは、約1400年前の古墳時代の終わりごろで、その東南の相模川の崖には横穴墓も発見されています。
平安時代の後期になると、武士団が結成され、市域の相原・小山・上矢部・田名などへ進出したようです。
鎌倉時代には、勢力のあった横山党が勢力を失い、その末に二世真教上人が無量光寺を建立しました。
戦国時代になると、小田原の北条氏の支配下に入っていたようで、関所もあったようです。

明治22年の町村制施行によって、7つの村の合併があり、生糸の生産もさかんになりました。
昭和12年になりますと、各地に陸軍士官学校等が作られ、軍都となり、脚光を浴びていたようです。
戦後は、そういった軍の施設はアメリカに接収され、相模原は基地の町になりました。
やがて、国の経済が回復してきた昭和29年に相模原市となり、平成22年4月には政令指定都市になったのです。

相模原市の産業

相模原市の農業は市内で作っている野菜や果物に「さがみはらのめぐみ」という名前をつけ、生産に力を入れています。
やまといも、ブルーベリー、大豆などの栽培がさかんで、養鶏、養豚にも取り組んでいます。

工業は中小企業を中心に発展を遂げています。
現在、さかんに製造されているのは、自動車の部品、電子機器、ロボットです。

商業はさかんで、人口が増えるにつれてお店も増えて行ったようです。
平成25年には相模大野に「ボーノ相模大野」という大型複合施設ができました。
なんと、お店の他にも病院、市の施設があり、人々の暮らしに大いに役立っています。

人口の増加は著しい

昭和29年、相模原市になったばかりの頃の人口は約8万人でしたが、20万人の増加が昭和42年、30万人の増加が昭和46年、40万人の増加が昭和52年、昭和62年には50万人とどんどん増えて行きました。
さらに平成12年には、人口が60万超えで、平成15年4月に中核市(ちゅうかくし)になったのです。

そして、平成18年3月に、津久井町(つくいまち)や相模湖町(さがみこまち)と合併、平成19年3月には城山町(しろやままち)、藤野町(ふじのまち)と合併しました。
そのために、人口が70万人を超えてしまったのです。
このようにして、新しい「相模原市」が誕生し、横浜に次いで神奈川県で2位の広さになり、人口は約72万人になっています。